「ねぇ、『メリーさん』って知ってる?」
――今思えば、あれが始まりだったのかもしれない。

探偵小説 第一話 「塗り潰した顔」

文(ふみ)香(か)はうんざりしていた。あれほど食事中には話しかけるな、と言っているのに麻里(まり)はいつもそれを破る。食事が生きがいの文香にとって、それは耐え難いことの一つであった。……こいつの口にシュークリームをねじ込んでやろうか、そしたら愉快な気分になるかもしれない、とそんな不埒な考えが頭をよぎった。
「あのね、毎晩メリー、って人から電話が来るんだって。『私メリー。今どこどこにいるの』って具合に。最初は家から遠くのほうを言うんだけど、だんだんと家に近づいてくるんだって。でね…最後には……」
と言って麻里は険しい顔をした。怖がれ、ということらしい。しかしいわゆる「金髪外国人」の麻里が顔を必死に作り替える様子はある種のシュールさを備えていた。
「『……貴方の後ろにいるの!』って言って、殺しちゃうんだって!」
ああ、よくある話じゃないか、何を怖がれというんだ。こんなことで私の食事を邪魔するな、そう思った文香はとうとう箸を止め、口の中のシュークリームを飲み込むと、口を開いた。
「そう。言いたいことはそれだけ?」
「うん!」
褒めてくれ、と言わんばかりにこちらを見る麻里。蒼い目が川のせせらぎのようにきらきら光って……。
――何かムカついたので、結局シュークリームをねじ込むことにした。
「ふぁに(なに)するん(するん)で(で)ふか(すか)ぁ」
涙目で抗議する麻里。口からクリームがこぼれる。
「もったいないなぁ。それ、『栖鳳堂』のだよ。朝早くから並んで買ったのに」
このままでは反論ができないと、麻里はもぎゅもぎゅと必死でシュークリームを飲み込むと、一息ついてから口を開いた。
「だったら無理やり喰わせないでよ! 窒息するかと思ったじゃん」
プチシューならまだしも、大きなやつなのにと不満を言う麻里に対し、文香は両手を腰に置いて、堂々と宣言した。
「私の食事を邪魔立てするものは万死に値する!」
ばーん。胸を張って高らかに言う様は、どこかの国の大政治家を彷彿とさせた。
 今は昼食の時間。人で賑わう学食内。しかし、いくら賑わっているとはいえ、これだけ騒げば人の目を集める。だが、誰も気に留めている様子は無い。ちらと見る人は何人か居るが、すぐに興味を失ったように目線を戻す。つまりは、もう誰も気にしないくらいこれは「いつものこと」なのである。しかし、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいらしく、麻里は顔を真っ赤にし、席の中で小さくなった。文香は未だにふんぞり返っている。誰もが「こいつ等誰か何とかしろよ」という目配せをし合っていた。
 ここで、二人について簡単に述べておこう。長身で中性的な顔をしているのが文香、今ふんぞり返っている方である。剣道部期待の新星であり、全国大会の出場回数は十指では数え切れない。入学したての一年ではあるが、もうファン(主に女子)がいるほどの美貌(と彼女は言っている)の持ち主で、その所謂(いわゆる)「男装の麗人」的ないでたちから「プリンス」などと呼ばれている…らしい。性格は先ほどの通り食事に命をかけており……、いや、性格については追い追い分かっていくことであろう。
 もうひとり、耳の先まで真っ赤にして小さくなっているほうは麻里という。外国人の血が4分の3、つまりハーフの父と北欧人の母の子で、青い目に金髪というこれはもう見紛う事なき外国人という姿をしている。噂ではもう既に外国の大学を卒業済みという話であるが、あまり彼女に近付こうとする人がいないのと、一番の親友である文香が勉強に興味がないのとで、未だに噂の域を出ていない。姿かたちは年上に見積もっても十代前半という完璧な幼児体形で、よく文香にからかわれている。
「さてと、そろそろ片付けますか」
そう言うと文香は二人の食べた定食の皿をお盆に載せるとそのまま人混みに消えていった。
「えっ……自分のくらい片付けるのに……」
その呟きが届くことも、また無い。


「今日は此処まで。皆の者お疲れ。帰ってよろしい」
剣道部長はそう宣言をした。やっと帰れる、道場はその安堵感で一杯になった。文香もその一人で、そそくさと荷物をまとめた。余り荷物を持たない主義の文香にとって、身支度は短時間で済むのだ。
蒸し暑い道場を出て、年季が入り、コンクリートが丸くなり始めている階段を下りる。女子剣道部の使う道場は学校の敷地外にあるので、こうした狭い路地を歩かねばならない。他の部員たちは、遠くて不便だとか、男子の道場は学校の中にあるのに、といった不平不満を常に言っているが、文香はあまり嫌いではない。いやむしろ好きといって構わないだろう。路地は落ち着く、そんな年寄りじみた思考を文香は持ち合わせていた。戦前からあるのであろう、いわゆる「下町」的なこの路地は両側を民家に挟まれており、圧迫感がある。また日当たりも悪い。地面のアスファルトはいつでもどこか湿気ているし、塀の際にはびっしりとコケが生えていた。道幅は人二人がぎりぎり通れる位の広さで、竹刀を背負っている文香はよく電柱につっかえることがある。それでもなお、文香はこの狭い路地が好きであった。両側の民家の木々が見せる四季折々の変化、友人と戯れる子供たち、そして何よりここの「空気」が彼女のお気に入りであった。
ぼんやりとどこを見つめるでもなく見ていた文香は何かを見つけた。目を凝らしてみると……、彼女だ、やっぱり麻里だ。麻里は南側の塀に寄り掛かってこっちを見ていた。不意に文香の中に「このまま後ろを向いて猛ダッシュしたらどんなことになるだろうか」という悪戯心が湧いた。何故湧いたのか、と誰かが聞いたとしても、誰も、そう本人でさえ答えられないであろう。悪戯心とはそういうものである。しかし文香は実行しなかった。面倒くささの方が勝ったからであろうか、いや、正体不明の悪戯心を抑えるものもまた、正体不明なのであろう。
「どうしたの、こんなところで」
小さな意地悪。何故かなど分かりきったことだ。
「そりゃあ、文香だけで帰るのは心配だからに決まってるでしょ」
「普通、逆じゃないのか」
と、文香は麻里の頭に手を置いた。「ちびっ子」、という暗黙の合図。
「なっ、何おぅ。週一で美味しいご飯を作ってやっている恩義を忘れたか」
そこは文香の弱いところである。食べることは大好きなくせに全くもって料理ができない。得意料理はカップラーメン。だが両親が家にいないので、食事は毎日が出来合いのものや惣菜の類に任せてしまう。しかし、一週間に一回だけ麻里が家に来て、夕食を作ってくれるのであった。
「わかった。その節はいつもすまない」
英国紳士風、とでも言おうか、別に被っても無い帽子を脱ぐ仕草をすると文香は深々と礼をした。
 こんなどうでも良いやりとりの後、二人はゆっくりと駅に向かって歩き出した。学校から駅まではいくらもない。小道を出れば着いてしまう。大通りの突き当たりに見えるノスタルジックな桜川高校駅、昭和十数年に建てられた(と、文香のよく行く理髪店の店主が言っていた)駅舎は木造で、なんともいえない哀愁を醸し出している。最近はアド街ック天国にも取り上げられ、そこそこ有名になりつつあった。「テレビに出ました!」という至極どうでもいいお知らせのポスターも、それを物語っている。文香は発券機の前へ行くと切符を購入した。180円。振り返ると麻里はいなかった。彼女はSuica派だ。先にホームへ行ったのであろう。


「鶴見平〜。鶴見平です」
ふと気付くと、文香はもう目的の駅に着いていた。一人。麻里は上り方面、文香は下り方面なので、もう別れたことをぼんやりと文香は思い返した。駅を出るともう暗い。真新しいモダンな鶴見平駅でも、いや、真新しいからこそ夜は不気味であった。文香は駅を出るとそのまま駅前の通りを歩き出した。鶴見平は団地の町である。通りの両側にはどこまでも公営団地が広がっている。窓には沢山の灯り。しかし通りに人影は無い。文香がなんとなく不安に思った、そのときであった。いきなり、黒電話の音が鳴った。暗闇の中にベルが木霊する。一瞬、ふみかは混乱し、辺りを見渡して音の発信源を探した。しかし、それが自らのケイタイの着信音であったことを思い出すと、悪態をつきながらそれを取り出した。
「ったく、何でこんなときに……」
八つ当たりである。画面を見ると、「着信・麻里」と書いてある。不満は倍増した。とりあえず出てみることにした。
「私、メリー。今」
ふみかは電話を切った。居(い)た堪(たま)れなくなり、何度も「切」のボタンを連打した。
「あの馬鹿、明日わさびシューの刑にしてやろうか」
恨み節。なんとなく気疲れしてしまったので、もうさっさと帰ろうと歩く速度を上げた。
 再び、着信。文香は今度また麻里であったらどうしてくれようか、という対策案を幾つか考えた後、意を決して携帯を開いた。「着信・.:@d//.ds@/.@s.@.s;」。なんだこれはと文香は不審に思った。電話番号に文字しかないなど聞いたことがない。文香の心に、また不安の影が広がり始めた。手に汗が滲む。樹の揺れる音が耳の中で反響する。文香の指は「入」の上で止まっていた。力をこめるか、否か。何度も何度も逡巡する。文香には、もうベルがなってから相当の時間が過ぎてしまったように感じた。しかし、ベルは全く鳴り止まない。このまま出ずには終われないらしい。文香は目をつむり、ボタンを押すと、すぐに耳に当てた。
「ワタシ メリー。今駅ニイルノ」
最初は麻里かと思ったが、すぐに違うと分かった。日本語をしゃべりなれていないような声。しかし、外国人の片言かと聞かれるとまた違う。異質。そうとしか形容のしようの無いその声は文香の脳に一方的に侵入する。と、電話が切れた。慌てて駅のほうを見る。遠くのほうに白いワンピースが見えた。しかし、いかんせん遠すぎてよく見えない。文香は目をこすった。だが、そのときにはもうそれは無かった。手から、鞄が落ちた。


 「文香〜。おっはよ〜う」
次の日、文香は麻里を見つけた瞬間、問答無用で回し蹴りをした。飛翔。教室の半分近くを回転しながら飛んでいく。そして壁際に置いてあった幾つかの机と共に沈み込んでいった。ストライク、こんな呟きが観客達から洩れた。
「何であんな悪戯をした! メチャクチャ怖かったじゃないか」
文香が吼える。麻里はよろよろと立ち上がった。少し涙目になっている。
「何も蹴ることはないじゃん! 死ぬかと思ったよ、まったく」
続いた言葉が、文香をより混乱させた。
「しかも一回電話かけただけで……」
「うそつけ! あの後駅にいただろ!」
「いるわけ無いじゃん! 駅、反対方向だよ? あんたのとこまで言って、おどかしてたら、家に帰るの何時になると思ってるの」
文香も、麻里の言っていることはもっともだと思い始めていた。しかし、認められない。もし認めてしまうとアレは恐ろしい何か、ということになってしまう。文香はサッと自分の血が引いてゆくのを感じた。

それからである。毎日のように「メリーさん」からの電話が鳴り響き、文香を悩ませる様になったのは。電話がかかってくるたびに文香は「メリーさん」の場所まで走っていくのだが、必ずそこには誰もいなかった。いや、行く途中までは白いワンピースがあるのだが、近づくとフッと掻き消えてしまうのである。「メリーさん」の出没場所は文香の自宅に次第に近づいていていて、それに伴い文香の精神はだんだんと磨り減っていた。
「このままだと、明日は角のコンビニかなぁ」
文香は、もはや日課となってしまった「メリーさん」の出没地点の地図への記録を終えると、ふうっと息をついた。文香はある団地の一室に一人で暮らしている。無音。部屋の中には音が無い。こういうときは一人が身に堪える。文香はどこか寂しさを感じ、両手で自分を抱きかかえた。そして決心をした。明日、警察に行こう、と。

 大谷区は東京の中でも珍しい、殆ど事件の起きない平和なところとして有名である。それでも警察には仕事がたんまりとあるらしく、せわしなくパトカーや制服達が行き交っていた。そんな警察署の前には文香が、なぜかもう一人と一緒に立っていた。
「麻里……、別にあんたは来なくても良いんじゃないの?」
文香は右の人にそう尋ねた。
「いやいや……文香ちゃんだけじゃ心配だよ。剣道部の皆も心配してたよ? いつもボーっとしてる文香がいつもよりもボーっとしてるって」
「いつもボーっとしてるってどういう意味だよ」
口ではそう言ったが、そうかもしれない、と文香は思った。あれから身の回りに気を使う余裕も無くなり、上の空でいることも多くなっていた。もちろん部活のみんなには何も言っていない。なんとなく気が引けたからだ。しかし、麻里だけには正直に打ち明けていた。
「だからここは、この麻里お姉さんにどーんと任せなさい」
と自分の胸をたたく麻里。麻里の身長は文香のそれよりか頭一つ分以上小さい。見下ろすようなものだ。そんな麻里の台詞を聞いて、文香はクスリと笑った。
 警察署に入ると、二人は「生活課」を目指した。前にストーカー対策の講習で「何かあったら来てください」といっていたのを思い出したのである。これはその「何か」に当てはまるだろう。ふと、柱にかけてあった大きな一覧表(この警察署の案内板だ)を見る。表は見上げていると首が痛くなってくるほど大きな代物であった。それによると、生活課は二階の外れにあった。階段を上ると周りに人はおらず、閑散としていた。生活課、と書かれた吊り看板下の受付では一人の警官が暇そうに椅子にもたれかかっている。
「あのう、ちょっといいですか」
恐る恐る、といった様子で文香がそう尋ねると、警官はおっ、事件か、といって起き上がった。
 
 文香は落胆しきっていた。左では、麻里が四回目の事情説明(とうとう噛み付かんばかりの勢いになっている)、その向かいでは警官が七度目の、「幽霊は警察では扱っていない」という趣旨の説明がなされていた。まあ、文香も予想していない訳ではなかったが、実際に言われるとやはり強く孤独感を覚えた。警官も麻里に対しとうとう強い口調で退出(早い話が「とっとと出て行け」)を促した頃であった。そんな三人に場違いな素っ頓狂な声が降り注いだ。
「おっ、文香じゃんかよ。こんなとこで何してんだ?」
文香にはその声に聴き覚えがあった。剣道部のOBであり、今は此処の捜査一課にいる……。
「山岸先輩!」
乱雑な(というか恐らく寝癖)ショートの黒髪ときっとした鋭い瞳が特徴的な人で剣道部時代では主将、またの名を女帝、といわれていた人である。
「あんた、またこの子連れてるんだ。好きだね〜。カップルかい」
「落とし所がよく分からない冗談はよしてください。実は……」
と、本日五度目の事情説明(文香がしたのは一回目)が始まった。
「……それ、本気で言ってるのか?」
またか、と文香は思った。山岸刑事は先ほどからペンをくるくると回してばかりいる。くるくる、くるくる。
しかしこの後、話は文香の予想もしない方向に動き始める。ぼんやりとしていた山岸は、はっとした顔になると、隣の警官に指示を出した。
「山田、あれだ。最近できた……えーと、なんつったっけ、なんちゃらのガイドライン、あれ持って来い」
山田と呼ばれた警官(先ほどまで話していた人だ)は、なるほど、と手を打った。そして机の上のクリアファイルを幾つかまさぐると、一枚のパウチしてある紙を取り出した。それを三人の前に広げる。「幽霊、及びその他超常現象の相談者に対するガイドライン」そう銘打たれた紙切れにはただ一行、「WPOを紹介すること。」と書かれていた。
「WPO?」
「そう、そういった幽霊なんかを取り扱ってる期間だ。専門家だし、腕も確かだそうだ」
「はぁ」
文香のその一言には、言外に「大丈夫なんですか、その怪しいソシキ」という響きが含まれていた。それを察知した女刑事はおどけてこう答えた。
「大丈夫だって。立派なウチの一機関だし、みんな公務員、どっからどう見たって公の由緒正しき公僕でございますよ?」
ここで、先ほどから腕を組み黙っていた麻里が口を開く。
「そのご立派な期間はどこにあるんですかねえ」
そんなことか、といった様子で山岸は答えた。
「ああ、あそこの角を曲がって……」
そう言って山岸は窓の外を指差した。
「えっ、そんな近いんですか?」
文香は驚いた。幽霊を扱うような秘密めいた組織である。もっと神秘的なとこにあっても良さそうなのだが……。
「だって別に秘密結社……鷹の爪でもなんでもないし。だから言ってるだろ、公的機関だって」


 二人は古ぼけたビルの前に立っていた。もう相当古いのであろう。門を彩る小洒落たレリーフ(銅が溶け出している)がレトロ感を出していた。二人にはいまいち此処がその、幽霊退治の専門機関ということが納得いかなかった。先ほどから人はよく出入りしているが皆スーツ姿で、所謂「マント」や「杖」なんかも持ち歩いてはいない。ただの商社ビル、そんな雰囲気さえ漂っていた。
「入って……みますか」
文香がそう宣言をすると、建物の中に二人は入っていった。
 入ってみた印象としては「役場」であった。先ほどから「難民ビザの更新は五階です」や「魔法薬品類の許可は検疫課が取り扱うこととなりました」といった無茶苦茶なアナウンス等も聞かれるが、「今月は確定申告です。皆様お早めに」や「住民票は本日二番の窓口にて取り扱っております」といった「役場的」な案内のほうが圧倒的に多いのだ。別に花火が打ちあがっているわけでもなければ、空を飛んでいるやつがいるわけでもない。しかし、思い直すと役場としては質がいいほうなのではないかと文香は思った。いたるところに電光掲示板が置いてあり、職員も多い。大谷区役所の四、五倍のサービス精神を感じさせた。
「ちょっと、そこの二人、何? 用事? ねえねえ、用事?」
ふと二人は呼び止められた。そちらを見ると「インフォメーション」と書かれた広めの受付(その上にはパンフレットと縫いぐるみが乗っている)で一人の女性がこちらを見て手を振っていた。茶髪を後ろで一つに纏め、受付嬢らしい上品な服装をしている綺麗な女性であったが、行動と発言がそれを台無しにしていた。
「なになに? 事件? 昼ドラ? 三角関係?」
文香は一言「違いますから」と前置きして、説明をした。それを聞いた受付嬢は好奇心一杯の表情で、こう答えた。
「分かった。それはあれね。執行課二係ってとこの管轄ね。執行課って言うのは、悪いやつらを『えい!』って退治する部署で、とりわけ二係はその中でも面倒な懸案を担当してるの。あんたら警察の紹介できたって事はここは初めて……よね」
二人は揃ってうなずいた。
「じゃ、案内するわ」
そう言って受付嬢は受付のカウンターを颯爽と飛び越えると(文香はスカートでそれをやるのは、と思ったが、格好よかったので黙っておいた。)ロビー中央にある大階段を駆け上っていった。
 執行課二係は二階の外れにあった。「執行課 二係」という札もきちんとついている。が、相当薄汚れていた。受付嬢はその扉を半ば蹴破るようにして開けると、大声で言い放った。
「相談者二名、ごあんなーい」
そして入ってすぐにある事務用椅子にどかっと座り込んだ。部屋の中の二係の面々はぽかんとしている。二人は部屋の中を覗きこんだ。小さな部屋で、事務用机が三つと、後は棚、接客セット、小さな給湯スペースしかない。事務所に必要な全てが、無理やり押し込められているといった感覚を覚えた。
「案内の仕事は良いのかよ」
そう言って、若い、目つきの悪い男がコーヒーを持って現れた。顔は不服そうな表情を浮かべている。
「だっから案内してきたっしょ? 仕事よ、仕事」
そういいながらも、受付嬢は早速接客セットのお菓子の掃討に取り掛かっている。そして、口いっぱいに頬張ると、お茶、と男に命令をした。
「頭からコーヒーぶっ掛けてやろうか? そうじゃねえよ。受付はどうしたんだ」
もっともな質問に、彼女は優雅に手を振って答えた。
「迷うやつなんていないわよぉ。どこのドジよそいつ」
その時、館内放送が鳴り響いた。
「指揮課の折崎だ〜。案内係の美濃部君〜。案内係の美濃部君〜。今すぐ持ち場へ戻れ〜。迷子ちゃんがお待ちだ〜。次の月給減らされたくなかったらさっさとしろ〜」
随分とのんびりした声である。男が言わんこっちゃない、という顔をした。
「畜生、さすが指揮課の折崎。汚い手を使ってくれるわ」
案内嬢は悪態をつくと同時に、脱兎のごとく駆け出していった。
「はい、はーい。美濃部は此処でーす」
声がだんだんと遠ざかるのを男は首を振りながら聴いていた。
 
仲良し二人組みは接待を受けていた。部屋に後から入った二人を待っていたのは、優しそうな中年の男であった。血行のよさそうな明るい顔をしている。中年は二人に来客用のソファを勧めると、自分はその反対側に座った。
「柿の種はお好きですかな」
男は二人に亀田の柿の種の子袋を手渡した。「ピーナッツがうまい!」と書いてある。男は後ろを振り向くと、パソコンに向かい一心不乱に作業(厳密にはコントローラを握っていたが、文香はそれも作業のうちであると願いたかった)していた若い女に向かってこう呼びかけた。
「おーい、織田君、お茶を」
女は小さく舌打ちし、やれやれといった様子で立ち上がった。
暫らくすると、女が盆にお茶を載せて持ってきた。ハイヒールのためか日本人離れしてスラッと見える。思わず文香は隣を向いた。……此処に外人なのにスラッとしていない奴が一人。麻里は文香の視線に気付くと、ピーナッツと柿の種を選別していたその手を止め、文香に微笑んだ。長身の女、織田は二人ににこやかにお茶を机の上に置いた。
「で、今日はどういったご用件で?」
文香は本日七度目の事実説明にトライした。大熊と名乗った中年は、うなずきながら話を聞きおえると、なるほど、といって黙ってしまった。麻里はおずおずと質問をぶつけた。
「あのう、ここって警察ですよね?」
「警察ぅ? ……ああ、山岸さんですね? 紹介されたの。……まだ勘違いしてる。WPOは国際機関です。別に警察の一機関なんかじゃありません」
そこへ、織田が話に入ってきた。やけにニコニコ、いやニヤニヤしている。
「大熊さんがしっかりしてないからですよ。ガイドラインの調整のとき、向こうは明らかに喧嘩腰なのに大熊さんったら、『柿ピーはいかがですか』なんて」
この一言が大熊の気に障ったようである。彼は一気にまくし立てた。
「向こうが喧嘩腰なのは、警察庁の幹部にこっちが『袖の下』を渡していないからでしょ。こっちは御宅と違ってクリーンなんだと何度言ったことか……。しっかし、聞き捨てなりませんね、柿ピーではありませんよ。柿の種です」 
と、その袋をがさがさと揺らしながらいった。
「柿の種でも柿ピーでもどっちでもいいですが、場所をわきまえなさいといってるんです」
ドンと机を叩き、大熊は立ち上がった。
「柿ピーが嫌いな人なんて居ない!  ねぇ、……萩野文香さんでしたっけ」
文香はどうでも良い喧騒は放っておいて、「けなげ組」を読んでいた。そのためまったく話の流れが分からなかったが、とりあえず「まあ」と生返事をした。
「どうです! 柿ピーは正義だ!」
大熊がそう言い放った時だった。
「あのう、話は……」
麻里が弱々しく手を上げて発言をした。部屋の空気が固まる。静寂の中に、部屋に置いてあるテレビの音だけが木霊した。
「ああ、申し訳ありません。まったく君がとんでもないことを言うから」
とその場をとりなした大熊は織田を一睨みしてからいった。
「この件は、真山が担当いたします。……真山!」
先ほどの目つきの悪い男、真山はテレビに映るワイドショーから目を離すと、ゆっくりとこちらへやってきた。接客用のソファーには座らず、わざわざ事務用椅子を取り出してそこにどっかりと腰をつける。
 真山はフッと息を吐くと、文香の目を見てこういった。
「最初に言っておくが……お話は人を殺したりなんかしない」
このとき、初めて文香は真山の眼を見た。…黒目が無い。目が全て真っ白なのである。かろうじて黒目であったであろう所には多少の色味の違いが見受けられる。文香はそれにぎょっとしてしまい、何も言い出せなかったが、その子馬鹿にしたような物言いに、麻里が噛み付いた。
「でも文香は現に襲われたじゃない!」
真山は不機嫌そうな顔をすると、麻里のほうに向きなおした。麻里の体が小刻みに震えているのが文香には分かった。相当怖いのであろう。文香の手をぎゅっと握っていた。
「うっるせえなあ、信じねえとは言って無いだろ、もう一
度言っておくがオトギバナシなんかで人は死なない。人を殺すのは人だけだ」
二人は黙り込んでしまった。真山はしまったという顔をして、こう言った。
「じゃ、お二人さんの幽霊とやらを、確認させてもらいましょうか。見えればこちらも信じるから」
そういうと真山は座ったまま椅子を転がして、ある机の前に行った。そして机上のパソコンをなにやら操作し始めている。二人は慌ててその場へ行った。画面には東京の全体図が表示されていた。様々な色が陣取り合戦を繰り広げている。
「魔法って言っても主観的、非科学的じゃあ、まったくもって証拠能力はない。外部性の高い何物かを要する」
真山は二人の顔を見比べてから苦笑いをした。
「ま、つまり機械か何かで計る必要があるって事さ。というわけで、此処ではこんなものを使ってる」
真山が数回クリックをすると、画面の上に「CROW」の文字と黒い鳥のエンブレムが現れた。文香はそれを読んでみた。
「クロウ……カラスですか」
「そ。カラス。死肉を漁るカラス。こいつは二十四時間いつでも東京中、といっても二十四区内だけだが…を監視し、そういった力を観測している。ということで萩野文香さん、一回目にそいつが出没した場所は?」
文香は鞄から地図を取り出した。「メリーさん」の出没地点を記録したものだ。それを見て文香が鶴見平駅前と答えると、真山はそれを画面に反映させた。画面に鶴見平駅前の地図が表示される。
「それで、その時のデータは、っと……」
地図が一面真っ青になった。しかし、ある一箇所だけ真っ赤に染まっている。真山が此処かと問うと、文香はそうだと答えた。
「こいつは……本物だな」


 文香は授業を終え、帰り支度をしていた。結局あの後、今まで「メリーさん」が出没した全ての場所に高い反応が見られた。真山が
『じゃ、調べておくから、帰って良いよ』
というので帰ったが、本当にあの怪しい奴に任せてよかったのだろうか、文香の不安は消えそうに無かった。
 いつものように、校門を出るとなにやら騒々しい。見ると、真山が校門にもたれかかって待っていた。それを他の生徒たちが見て騒いでいる。彼の黒目の無い目が物珍しかったようだ。真山は文香を見つけると、片手を挙げ呼びかけた。
「やあ、こんにちは。悪いけど君の身辺について調べさせてもらったよ。前にも言ったけど、人しか人を殺さない……ってわけで、はい、これ」
真山は紙の束を文香に渡した。表紙には、「事件容疑者とその能力」と書かれている。
「めくって最初の表が君を恨んでる人のリスト。次からがその一人ひとりについての記述。全員の具現力値…つまり魔力も調べたけど……いまいちパッとしないな」
文香は数枚めくって見た。自分に対する怨恨と罵詈雑言のオンパレード。自分が見てこなかった、自分自身の側面がそこにはあった。気分が悪くなってきたので文香は読むのを辞めた。
「うわ……悪趣味ですね」
文香は強がってそう答えた。冊子をぎゅっと握ると少し潰れた。
「しようがないだろ。仕事だ」
そう答えると、真山は居心地が悪そうに持っていたSOYJOYを齧った。


 もう十月ともなれば、日がくれるのも早い。そうこうするうちに日はどっぷりと暮れ始めていた。空が一面血を撒いたかのように赤い。
「じゃあ、ちょっと……この後良いかな」
と、真山が言った。文香は一瞬誘拐されるのかと思った。話には聞いたことがあったし、友人がされかけたという話も何度も聞いたことがあった。とにかく、この怪しい奴にはついていけない。
「すみませんが、ちょっと今日行事があって」
文香は一応そう答えた。文香のそういった考えを見抜いたのであろう、真山はわざとらしくこう答えた。
「そうか、残念だなぁ、とっても美味しいパフェの店を紹介しようと思ったんだがなぁ」
食い物の話をされると弱い。文香は自分の決心が揺らいでいるのが分かった。
「まあ、冗談はさておき、これからのことについて話がある。来てくれるな」
決定事項であった。こうなっては文香に拒否権など存在しない。何であんなところに頼んでしまったのだろうかと後悔しながら文香は真山の後をついていった。


 真山は歩いてゆく。文香は次第に無くなってゆく人影にいよいよ命の危機を感じ始めていた。すると突然、真山はなんとも無い路地で立ち止まった。道の両側に店があるのだが、片方は潰れてしまっているようだ。
「何かあるんですか? こんなところに」
文香は心配になってそう聞いた。
「あるに決まってるから来てるんだろ」
真山はそういうと、潰れたほうの店に向き直った。
「ちょっと、そこ潰れちゃってますけど……」
「ああ、そして、反対の店が此処のガラスに映ってる」
そういうと真山は扉を開いた。もうそのときには、文香はまぶしい光で何がなんだか分からなくなっていた。
 気がつくと、二人はとてつもなく大きいデパート……いや百貨店といったほうが雰囲気は近い、明治・大正を思わせるような重厚な雰囲気がするロビーに立っていた。床は大理石であろうか……。そこに赤い絨毯がひかれている。前方には開放された巨大な扉があり、その先には広大な売り場が広がっていた。
「ここ、どこですか」
イメージと違う。文香の考える廃店舗ではまったく無い。
「お客様、陽炎百貨店にございます」
文香の問いに答えたのは、小さな老人であった。スーツをピシッと着こなしている彼には老人とは思えないほどの明朗さがあった。
「此処は現に非ず。ガラスのみに映る百貨店にございます。……それにしても珍しいですな、真山様がお客様を連れてこられるなど」
真山は照れくさそうに頬を掻いた。
「まあな。問題は無いか?」
「お陰さまで。といってもこの店自体が影のようなものでございますが」
そう言って老人はくっくっと笑った。と、老人は文香のほうに向き直った。
「ところで……お客様、お名前は?」
文香はなるべく礼儀正しく見えるように答えた。
「萩野文香といいます」
「萩野様、私この陽炎デパートの総支配人を勤めさせていただいております神津と申します。以後、お見知りおきを」
老人は深々と頭を下げた。
「それじゃ、行くから」
真山は文香に先を促した。
「ごゆっくり、どうぞ」
そういうと、老人・神津は消えてしまった。
「じゃ、行きますか」
そう言って真山は陽炎デパートの中に入っていった。

 外には不夜城、東京の夜景が広がっている。文香はそれを見ながら、このデパートについて思い返していた。ここは本当に賑やかなところであった。妙なもの、妙な人、そんなものが次々に出てくる。猫耳、狐耳、兎耳……。店の中で花火は打ちあがっているわ、人が空は飛んでいるわ……。本当に面白いところだと文香は思った。
 ここは十三階のレストラン。真山に連れられてやってきた。文香はこの男の真意を計りかねていた。こいつは何故こんなことをしているのだろうか……、そんな疑問が文香を包む。
「パフェにございます」
どこからともなくウェイターがやってくると、テーブルの上にパフェを置いた。ウェイターには手が六つあった。……もうさすがに驚かない。こういうところではさぞ便利であろう。ところで、注文したパフェはというと、……大きい。両手で抱えて持つような大きさのグラスに、たんまりと中身が入っている。中身とは、沢山のフルーツ、アイス、スポンジケーキ……文香の知らないものも混ざっているが。文香は生唾を飲み込んだ。
「食べなよ」
その真山の声が合図となった。文香はものすごい勢いで食べ進めてゆく。ものすごくおいしい。幸福の海に浸かっているようだ。もはや、何か特定のものがと言うよりも全てがおいしかった。食べ終わってひと段落着くと、真山が声をかけてきた。
「元気でたか? あのお前の友達の……なんていったか、かの金髪がさ『最近、文香の元気が無いから心配で。あんなに好きだった食事も最近はあんまり食べないし……だから元気付けておきなさいよ!』なんていうもんだからさ」
文香はなんともいえない満たされた気分になった。満ち足りている。人としても、生命としても。幸せだった。全て、全て……。

 文香と真山は二人で駅へ向かい商店街を歩いていた。二人は手を伸ばせば届くような距離である。そのとき、後ろから声が掛かった。
「あら、真山さんではないですか。ご機嫌麗しいですわね、そんな若い子を連れて。今日は遅くなると仰るので、何事かと思いましたが、女子高生連れて『そんなこと』ですか」
文香は後ろに鬼がいることを悟った。この気は只者ではない。いままで、そう剣道の試合の中でさえ、これほどまでの殺気を文香は感じたことが無かった。隣の真山を見ると……こちらはもう完全に固まってしまっている。真山は全身の力を振り絞って後ろを向き、釈明を試みた。
「あ、あのなあ白雪、これは仕事の一環で――」
「誰がそのようか事を信じますか。――死ね」
文香は真山が隣から消え、宙に舞うのを感じた。……合掌。

文香は何故か古ぼけたアパートの一室でなべを突いていた。コタツが暖かい。目の前ではチゲ鍋が煮えたぎっている。隣では、アパートのほかの住人たち(もちろん人間じゃない)が酒盛り中だ。文香も無理やり呑まされている。何故こんなことになっているのだろうと酔った頭で何度頭をひねっても、文香には満足のゆく答えが何も出てこない。
順を追って思い返すと、まず、真山が見事にフライ・ハイし、地面に激突。そこを彼を吹き飛ばした張本人である白雪さん(騒動の後、そう自己紹介してくれた)が追い討ちの蹴りをかけ、2コンボ。そのあと、「私という人がいながら君は……」と泣きながら殴り続け20コンボくらい。そして三途の川を渡っている真山を潰れるほど抱きしめて、「死んじゃ嫌だ!」と、止めの一撃。
そのあと、真山は何度も血を吐きながらも白雪に状況を説明し、何とか事なきを得た。その後、白雪は迷惑をかけたお詫びにということで何故か文香は真山の自宅で夕食をご馳走されることになったのである。
台所では、かの白雪さんと九十九神の(文香には九十九神が何なのか分からなかった)泗水さんが酒のあてを作っている。
「素敵な人だな……真山さんには勿体無いくらいに」
白雪の割烹着を見ながら文香はそう呟いた。アパートに行く間、文香は白雪と話をしてみたのだが……、レベルが違う。教養、品、振る舞い……。お嬢様然としたところが育ちのよさを窺わせた。しかも美しく、次が文香にとって一番重要なポイントなのであるが、料理がうまい。このチゲ鍋も、他の幾つものおかずたちも、どれもが皆お金を払ってもいいくらいの一品であった。ふと、文香は二人の関係について白雪に聞いたときの事を思い出した。
「ただの幼馴染ですよ」
そう、自分に言い聞かせるように言う白雪の姿は――
「詐欺にあっている人ってあんな感じなんだろうな」
真山はどうやって白雪を騙したのだろう、と文香は不思議に思った。

「寝ちゃったね」
白雪はコタツで寝ている文香に半纏(はんてん)をかけた。
「疲れがたまってたんだろ。家ではいつも一人みたいだし」
真山は慈しむような目を文香に投げかけた。
「そうだね。――一人は辛いよ」
白雪もコタツに潜った。真山は部屋をぐるりと見渡した。住人たちもみな帰り、決して広くは無いこの部屋も、このときばかりは広く感じられた。
「あいつらもいい奴だよな。集まってこいつを元気付けてやるなんてさ」
真山もコタツに潜った。
「此処の人たちはそういうのに敏感だからね。ボクにも良くしてくれるし、本当にいい人たちだよ。ところで清彦、この子を家に送らなくていいの」
真山は蜜柑を食べながら、
「ああ。そのほうが都合がいいんだ」
と答えた。

 文香の住む団地のすぐ前に存在する横川第三公園。真山は象の形をしたベンチに座って本を読んでいた。読んでいる本は魔法基礎?。ふと顔を上げた真山は、視界の端に少女を見つけた。そのままケイタイのボタンを押して立ち上がる。
「あんたが『メリーさん』か。いや、『メアリーさん』かな」
そこに立っていたのは他でもない麻里であった。麻里は着ている淡く赤いワンピースの端をぎゅっと掴むと口を開いた。
「貴方……誰?」
声は小さく、注意し続けなければすぐにかき消されてしまうだろう。
「もう知ってるだろう? 自己紹介はしたはずだが」
そう言うと真山は懐からニューナンブを取り出した。弾倉を確認すると、5つ中4つに弾が詰まっている。
「撃ち殺してしまうか。助けてやるか。面倒臭いしなぁ」
そう言って真山は弾倉をぐるぐる回転させた。そして、拳銃を相手の眉間に向けると、
「バン!」
そう口で言って、引き金を引いた。弾は発射されない。
「当たり。……よし、助けますか」
真山がそう言い、ベンチから立ち上がった時であった。今までじっと真山のすることを見ていた麻里が口を開いた。
「邪魔……文香を助けるのに……邪魔」
そう言うと、片手を前に突き出した。すると、無数のナイフが現れた。文香が手を降ろすと、それらも真山に向かい襲い掛かってきた。
「うおっと、危ない。お前なんかに助けられるのか? 襲うじゃなくて」
難なくよけたが、敵は攻撃の手を緩めない。
「……雨」
そう言うと、両手を上に突き出した。するると上空に無数のナイフが現れ、降ってきた。
「それは反則だろ!」
そう叫ぶと真山は公園にあるコンクリートでできた山のトンネルへ滑り込んだ。間一髪。先ほどまで真山のいたところにはナイフの花が咲いている。
「こいつはマジでヤバイの連れてきちまったな……殺すわけにもいかねえし」
思わず真山がそう毒づいた、そのときであった。一瞬にして、全ての攻撃が止んだ。
「おっ、救いの女神のご光臨かな」
真山が慎重に外に出ると、「麻里」が立ち尽くしていた。その手から鞄が落ちる。
「何これ、私?」
その声に呼応するかのように「メアリー」が口を開く。
「私メアリー。文香と一緒にいる……。貴方も……メアリーでしょ?」
「私はメアリーなんかじゃない!」
その名前で私を呼ぶな、そんな思いが体を貫き、文香はおもわず絶叫した。真山は読みが当たったことを喜んだ。後は少し後押しするだけである。
「じゃあ、お前は何なんだ?」
真山は麻里にそう尋ねた。
「何って……私は麻里」
そういいかけた彼女に、真山はかぶりを振った。
「そうじゃない。お前の向こうでの名は何だと聞いている」
自分の名前は何? 麻里は自分にそう問いかけた。……答えがどこにも無い。心のどこにも、その名前が無い。
「なんで、なんで思い出せないの! なんで!」
「……だから、貴方はメアリー」
「メアリー」は寂しそうに笑ってそういった。
「メアリーなんかじゃない! 私は……メアリーなんかじゃ……」
必死に記憶をたどる麻里。脳裏に次々と思い出がフラッシュバックする。

両親の声    「いい子だね   」
無音。

英国の友達の声 「   ちゃんも一緒に遊ぼうよ」
無音。

中学の同級生の声「おまえさ、どうせメアリーとか言うんだろ、名前も麻里だしさ」

「メアリーじゃない! メアリーなんかじゃ絶対に……」
麻里は必死に記憶を探る。世界が何度も宙返りをし、麻里の脳みそが流れ出てゆくように感じる。

声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、
声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、声、

無音、無音、無音、無音、無音、無音、無音、無音、無音
無音、無音、無音、無音、無音、無音、無音、無音、無音

そして「メアリー」。

「絶対に違う!」
もはやそれは断末魔のようでさえあった。

文香の声 「いじめられてるなら私が守ってあげる。そういえば、名前は? そうじゃなくて、英語の名前は?

そう、アリスって言うんだ」

「そう、アリス、アリス!」
麻里は嬉々としてそう答えた。言うたび、言うたびに自分が世界に存在しているのを感じる。祝福されている。生きている! 先ほどまで、どこかに連絡を取っていた真山は、その声を聴くとやれやれという顔になった。
「やっとかよ。いやあ、ほんと疲れた」
「メアリー」、いや「アリス」の服のどんどん青くなってゆく。
「そう……私はアリス。……良かった……思い出してくれて」
満ち足りた顔でそう言うと、「アリス」は麻里に近づいてきた。そしてぎゅっとその手を握る。その手は暖かかった。
「今度は、ずうっと一緒だよ」
そう言うと「アリス」は光となって消えてしまった。

「みんな、大丈夫だった?」
文香が向こうから走ってきた。真山は先ほど白雪に電話をかけ、こちらに向かわせるよう伝えたのである。今夜の最大の功労者に乾杯、そう心の中で呟くと真山は公園の入り口で「おしるこ」の缶を持って笑っている白雪のほうに歩き出した。清(すが)しい顔で笑いながら。
「文香……」
麻里は文香の姿を認めると、安心からか、ふらっと崩れ落ちてしまった。あわてて駆け寄り支える文香。
「……もう、大丈夫だから」
そう言って麻里は笑いかけた。


次の日の午後のことである。二人はまた執行課二係のオフィスに来ていた。
「どうも、お世話になりました」
二人は深々と頭を下げた。しかし、そこに真山の姿は無い。
「あれは何だったんですか」
麻里はそう尋ねた。尋ねずにはいられなかった。
「あれはね、えっと……」
「シャドウよ、シャドウ」
説明をしようとした大熊の言葉に、またもや織田が割り込んできた。
「シャドウ?」
憮然とした表情になった大熊を放っておいて、麻里は答えを促した。
「そう、だから貴方は今度からペルソナを使えるのよ!」
といって、織田は頭に銃を突きつけて撃つ動作をした。麻里にはさっぱり意味が分からない。そこでようやく大熊が話を元に戻そうとした。
「そこまで。ゲームを知らないと分からないような冗談は辞めなさい。シャドウって言うのは自我を補完する……つまり、自分ができないことができる、自分が失くしたいと思っている、または失くしたもの……を持ってる、そういうものなんだ」
そこまで言って大熊は、また「補完計画だ! そのためのシュークリームだ!」などと騒ぎ始めた織田を黙らせるために本物の拳銃を織田のこめかみに突きつけた。目が本気である。文香はそれを見て、何故か真山を思い出した。……彼は何故この場にいないのだろう。
「そしてペルソナって言うのは……これはこいつ」
と、大熊は織田のこめかみに銃を強く押し付けなおした。
「の完全な冗談で、君の場合は自己に限りなく統一されたと考えたほうがいい」
 麻里はまったく訳が分からないという顔をした。
「つまり、君の心に押さえつけられていたある人格が、同じく心の奥底にあった魔法の適性と合体し、現れたというわけだ。そして、君の心に取って代わろうとした。君はその『メリーさん』の話を誰から聞いたか覚えているかい」
そういえば誰から聞いたのだろう。麻里は見当がつかなかった。いや、もしかしたら、誰からも聞いていないのかもしれない。麻里は薄ら寒くなってきた。
「『メリーさん』本人だよ。君の心にいるんだから、干渉なんて簡単さ。そうして、その文香ちゃん……君が一番大切に思っている人だね」
なんて恥ずかしいことをこの親父は言ってくれるのだろうかと、麻里は文香に聞こえていないか確認したが、文香はいつの間にか部屋の外へ出て行っていた。ほっとしている麻里などお構いなしに大熊は話を続ける。
「その文香ちゃんを自分が守ることで君に取って代わろうとしたわけだ。そこを、君が彼女の名前を思い出し、影を影でなくしたことが、この事件の解決に繋がったわけだ」
そう言って大熊は笑った。麻里はその手に「報告書 真山清彦」とかかれた書類があるのを見逃さなかった。

 文香はやっと、真山を屋上で見つけた。このわけの分からない建物中を走り回ってしまった。彼は眼下に広がる東京の町並み、それをぼんやりと、その真っ白な目で見ていた。
「こんなところにいたんですね。探しました」
文香は真山の隣に立った。町並みを見る。大谷駅から電車が出て行くのが見えた。……山手線であろうか。そんな彼女の声はどこか嬉しそうである。
「今回はどうもありがとうございました」
文香は町並みから目を逸らさずに言った。
「お礼はあの子にいいなよ。俺は何もしていない」
「事件じゃありませんよ、パフェです」
そうか、といって真山は空を見上げた。空には鳥がいた。群れを成して。
「あれは美味しかったろ。何度食べても、何故か懐かしい味がする。どうしてなんだろうな」
文香もあの味を思い返した。……そうだ、小さい頃に母親デパートでと食べた奴に似ている。真山の言葉が心の中でぴたりとはまった。
「これからもいいお店紹介してくださいね」
「君も暇じゃないだろ。さっさと日常に戻りな」
真山は「日常」を強調して言った。ささやかな願いのようなものがそこには込められていた。
「真山さんって、友達少ないでしょ」
真山は黙ってしまった。しかし、暫らくしてうめくように答えた。
「……量よりも質を重視するほうなんだよ」
「じゃあ、私もそれに立候補します」
文香は右手をピンと伸ばした。真山はそんな文香を疲れた眼で見て言った。
「お前は友達が多いんだろうな」
「でも、白雪さんにぶっ飛ばされるのはなしで」
此処で初めて真山が笑った。明るい、朗らかな笑い方だった。
「大丈夫だよ。あいつは間違った奴以外には手を上げない」
「じゃあ、あれは悪いことだったんですかね」
文香はあのパフェの帰りを思い浮かべた。
「あれはどう見ても怪しいだろ」
真山はおどけた口調でそういった。
「それじゃあ真山さんと白雪さんでは大逆罪です」
また笑い声。今度は二人分であった。と、強い風が二人の間を通り抜ける。
「真山さん」
「なんだ」
「これからも、よろしくお願いします」
文香は右手を差し出した。真山はそれを見ると、暫らく動かなかった。何度も風が通り過ぎる。それでも文香は手を差し出していた。
「じゃあ、よろしく」
真山は、ついに観念したのかその手を握り返した。
「じゃ、ここも寒いから帰るか」
真山は屋上の出口に向かって歩き出した。が、ふと足を留めて言った。顔は悪戯をする子供のものである。
「じつはなあ、黙っていたんだが、あんたと俺、同い年なんだ」
少しの空白。そして、遅れた返事。
「えっ」
真山は追い討ちをかける。
「あと、白雪も」
今度の反応は早かった。
「何だって! ……人としてダブルスコアで負けてる」
二人の笑い声が、空に木霊した。
                   (了)
探偵小説 第一話 解題
今回の語り手「麻里」

こんにちは麻里です。皆さん探偵小説第一話、お楽しみいただけたでしょうか、たぶん無理だと思いますよ。私は。こんなね、予告編から二ヶ月も経っておいて、一話しか書けないような能無しですもの。作者は。
 このコーナーは変な設定や無駄な描写、または描写不足で意味不明になっているこの小説を、この金髪幼女の麻里様が……あ? 誰だこの金髪幼女とか台本に書いたの。お前か? ……ああ、作者か。まったく、あのド変体は何しだすかわかんねえな、ほんと。まあ、話を戻すとこの私が直々に説明してやりますってことだ。まあ、質問を作者に生でぶつければ、第二話の解題で問題を万事解決! 素晴らしいことじゃないですか。敬語に戻さないとな。
まあ、私がこんなとこにいるのも、イメージアップを読者の間で図る為です。そうしておけば、作者も私を沢山の話しに出す。そうすれば、たっくさん文香とイチャイチャできる、そういうわけです。みんなも、作者に「文香と麻里のカップリングが見たい!」とか沢山吹き込んでください。あいつ馬鹿だから、きっとすぐに書くよ。
さて、こっちも雇われの身。手元にある台本に沿って、ちったあやりますか。まず、この小説のレゾンデートルから……。そもそもこの小説に、資源の無駄以外の存在理由ってあるのか? まったくの謎だ。えっと、「この小説は一話完結の刑事ドラマ的なものを狙っています。ニ、三話読まなくても全然平気なように作るつもりです」だって。無理だね。あと、「この世界において、本物とは何かという問いをテーマとしてます。」だって。んなわけねえだろ。どんなおめでたい頭してんだよこれ書いた奴……って、作者か。
 「また、今回は食べ物に注意してみました。かなり実名を出しましたがどうだったでしょうか」でって。まあ、こいつは文香が喜ぶから全面オッケーって事で。あいつの喜ぶ顔は見ていて飽きないからなー。
お次は、「この作品のキャラクターは作者のある一面です。よって、この世界は人の多面性を指し示しています」だって。これって心理学のテストかなんか? ほんと作者はイカレてるよ。他にも全部意味があるんだと吐(ぬ)かしてる。精神病院行ったほうがいいね。
 ページの都合これでさよなら。あー、せいせいした。

● 第一話おススメBGM
・ Tower Of Music Lover くるり

● 最後に
気付いたら頭にゼンマイが刺さってた。これ、回したらどうなるんだろ。