学力低下について

最近、学力低下についてこんなことを言う人がいた。
「子供たちが学力低下しているように思えるのは、大人の思う学力と、子供の思う学力との定義が異なるからである。」

まったく、そのとおりであると思う。

まず、子供たちにとっての「学力」は今、学校の枠をとっくに超越していると思われる。

過去において、教育とはすなわち職業訓練であったし、生活の知恵を学ぶことに他ならなかった。文字を学ぶことは、契約社会において不可欠であったように。そして、現代の社会において、彼らにとっての学習はそうした現実的なままなのであろう。だからこそ、彼らはモバゲーやネットといった、完全に実用的なものに熱中し、古典的、または今となっては使い物にならない知識の山である、「学校教育」に見切りをつけているのではないだろうか。

そういう意味では、「学力低下」は子供ではなく、現実の認識の甘い大人のほうなのではないだろうか。

また、その「古典的学力」を気取る「学校教育」においても、まさに学問を汚すような行いを見せている。いま、子供にとっての学力とは、「受験・テストの勝者」になることに他ならないようである。実際、「勉強」は現行の受験制度への隷属を意味し、まったくその本道からかけ離れている。
であるからこそ、子供たちは敏感にその制度の真のルールに感づき、「勝者になるために必要最低限の学力」しか養成しないのではないか。

そんなことを思うのである。